2012.9.6 06:45 平成23年1月。大雪となった京都市内で、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授(49)らは4人の米国人と顔を合わせていた。相手は米バイオ企業、アイピエリアンの幹部と弁護士。一般にはなじみのない企業だが、一部の研究者の間では知られていた。というのも、米ア社は人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製技術の一部について英国で京大よりも先に特許を取得。京大は特許をめぐり係争になるかもしれないという壁にぶつかっていた。米ア社側の来日にあわせ京大は山中教授のほか、法律の専門家などからなる交渉団を編成。両者の交渉は3日間に及んだ。実は交渉の1カ月前、山中教授の元に米ア社の社長から『係争回避のため当社の特許を譲渡します』という内容の電子メールが届いていた。このため、交渉では米ア社が京大に特許を譲渡し、そして京大の特許を使用できるという契約について「(契約書の)骨子を詰めることが主な内容だった」(京大関係者)。それでも契約書の文言をめぐっては、日本語と英語という微妙なニュアンスの違いがトラブルのもととなりかねない。しかも、交渉は通訳なしで英語で行われただけに、どこに"落とし穴"があるかわからず、製薬会社の知財部門に在籍した経験を持つ京大iPS細胞研究所知財契約管理室の高須直子室長(50)ですら「交渉の前夜は不安で眠れなかった」と振り返る。交渉が不調に終わり、係争に発展すれば、京大は弁護士費用など1億円以上の出費と解決までに約2年の歳月を費やすおそれもあった。
係争を回避できたのは相手が先に折れるという運に恵まれただけなのか?「それは違う。『iPS=山中教授』というイメージが浸透し、これが係争回避の武器となった」。特許庁の担当者はこう解説した上で「もうひとつは米国のベンチャー企業は研究成果の早期実用化が求められている。係争になるとそれが難しくなるため、避けたのでしょう」と推測する。日本中がロンドン五輪に熱狂していた8月1日、京大iPS細胞研究所は、筑波大学などとある研究成果を発表した。神経細胞に障害が起きて筋肉を動かすことが困難となり、やせていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者のiPS細胞から治療薬の候補物質を見つけ出すことに成功したのだ。難病のALSは発症メカニズムが未解明で、有効な治療薬もない。それだけにALSの治療薬開発に道筋をつける世界初の発見に医療関係者が驚愕(きょうがく)した。米ア社との特許係争を回避し、iPS細胞の実用化にむけ前進するが、京大の事例のように係争で円満に解決できた例は少ない。日米間での特許訴訟の多くは米企業に裁判を起こされ、日本企業は敗れてきた。住友電気工業は1980年代半ば、光ファイバーに関する特許をめぐり米コーニングと争って敗訴。33億円の和解金を支払い、米国から一時撤退した。当時は日米の貿易摩擦が激しく、米国は知的財産の保護と活用を重視する「プロパテント政策」を掲げていた。住友電工の佐野裕昭知的財産部長(52)は「米国の産業政策の変化を見抜けず、戦略面で不十分だった」と今も悔しがる。「世界中の難病患者を救う」。山中教授はこの言葉を目標を掲げ、米欧やロシアなどで特許を取得、中国や韓国でも出願済みだ。特許庁も「将来の青写真を描き、まず市場が見込めるところで特許を取得するのが有効」(沢井智毅・国際課長)と指摘する。とはいえ、iPS細胞の技術開発はまだ途上で、山中教授以外にも米ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授が別の研究成果を発表するなど、世界中が開発にしのぎを削る。こうした中で、交渉下手といわれる日本人が特許係争を回避するひとつの有効手段は「圧倒的な技術力を持つことだ」(関係者)。京大iPS細胞研の特許戦略は、資金力の乏しい大学や研究機関が競争を勝ち抜くための貴重な前例となるかもしれない。(松村信仁)
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