Friday, March 30, 2018

武部さんが31歳で教授就任、再生医療の星に

「ミニ肝臓」大量製造成功 2018323  Texts by 横浜市立大学  エーブィエ バイオファーム iPS細胞から「ミニ肝臓」の大量製造に成功した横浜市立大の准教授だった武部貴則さん(31)が1月15日付で同大先端医科学研究センターの教授に就任した。さらに2月1日付で東京医科歯科大統合研究機構の教授にもなった。再生医学の分野で次々と成果を発表する「市大の宝」で、同大では史上最年少の教授とみられる。武部教授は「再生医療でたくさんの患者を助けられる移植方法をつくりたい」と歩みを止めない。 武部教授は2013年、iPS細胞から世界で初めて血管構造を持つヒト肝臓原基(肝芽(かんが))を作り出すことに成功した。この肝芽は「ミニ肝臓」と呼ばれ、生体内に移植すると自律的に血管網や肝臓機能を持つ状態に成長する。また、肝芽の移植や大量製造にとどまらず、腎臓や膵臓(すいぞう)などに応用して他の「ミニ臓器」を作り出す手法も確立した。現在、目に見えないほど小さなミニ肝臓を数十万~数百万単位で病気の新生児に移植する治療法の開発を19年をめどに検討中だ。これらの成果は英科学誌ネイチャーに掲載され数々の賞を受けるなど国内外から高い評価を得ている。それでも武部教授は「自分はこの業界ではまだ年数が浅いビギナー。だからこそ、他の人が想像もできない分野の開拓を目指す」と話し、前例にとらわれないクリエーティブな発想を大切にする。肝芽を作り出したときも、クッキーの型のようにくりぬいて移植しようと柔らかいゲルの上に細胞を培養し、通常では使わないコーティングなしの培養皿を試すなどの「遊び実験」が大発見につながってきた。「ゼロからアイデアは生まれない」と経済や農業、漁業など他分野の論文にも目を通す習慣を続ける。教授になっても「未解決の問題は、誰も試していない方法で解決につながる」との信念は変えないつもりだ。武部教授は横浜市出身。医者を目指したきっかけは、小学3年のときに経験した父の脳出血だった。父は奇跡的に回復したが、「あのとき(医者に)救ってもらえなかったら、進学もできなかった」と振り返る。一方、中高時代に仲良しだった後輩の父は肝臓の病気で移植手術の末、亡くなった。「すごく悔しかった」と横浜市立大医学部に入学し、肝臓移植の外科医を目指した。ただ、大学の授業で学ぶ臨床医学では「決まった治療法の再現」を重視するのが主流だった。治療法がない難病は今後の研究に任され、「医者の仕事が(治療を)あきらめることでは納得できない」と違和感を覚えたという。大学2年のとき、同大OBで最先端の再生医学を研究する東京大の中内啓光教授(現スタンフォード大)に出会ったことが転機となり、研究の世界に入った。その後の学生生活は軟骨を作り出す研究に没頭し、腕を磨いたという。現在は、米シンシナティ小児病院など複数の研究チームを掛け持ち、日本とアメリカを頻繁に行き来する生活を送っている。武部教授は「肝臓は、膵臓など周りの臓器とつながっていないと完全には機能しない。複数の臓器を一括再生する『多臓器再生』に引き上げたい」と研究分野での目標を語る。加えて、自身で開拓した「広告医学」という学問領域をもう一つの柱に掲げる。デザインやコピーライティングなど広告的な手法で医療問題の解決を目指す分野だ。大手広告代理店と協力して16年からプロジェクトを開始。これまで海の生物などをデザインして自然と上りたくなる「健康階段」や、ウエスト85センチを境に色が変わる「アラートパンツ」などを生み出してきた。武部教授は「医療問題で社会を変えるためには『人に伝える』部分がとても大事。医学部内に専門家を置き、講座をつくっていきたい」と構想を抱く。【杉山雄飛】  

 


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